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歩き続けること

人生の道を歩き続けることにプレッシャーや威圧を感じたり、悲しみや苦しみを感じて立ち止まることを望む人がいる。
けれど、人生の道を歩き続けることは、義務ではないし、誰かに強制されることでもない。
歩き続けることは、もっともっと自然なことなんだ。

そう。
生きることと、少しだけ似ているかもしれない。

今、君がここに居るということは・・・
君は、既に、ここまで来るための長い道のりを歩き続けて来たということだ。
そのことをまず、評価してあげよう。

君が歩いてきたこの道や、これから歩いていきたいその道も、すべて君だけのものだ。

自分の道と、人の道は違う。
国道を高速道路にしろとは言えないだろう?
地図を見てみればわかるはずだよ。
同じ道は、1つもないんだ。

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人生の道は泡沫。

人生の道は泡沫。
未来への道は、目の前に現れては消え、消えたかと思えば現れる、幻のようなもの。

自分の進みたいと願う道があるなら、その道を掴むために動かなくてはいけないよ。
幻がひとりでに現実に変わることはないのだから。

その幻を現実にするために出来ることは、自らの信念をもって決意し、行動することだけ。

眠りの中で見た泡沫の夢すら、自らがそれを現実のことのように幸せだったと感じれば、
それは、君に人生の道は泡沫。
とっては現実と同じだけの価値を持つだろう。
人生というのは、まったくそのとおりなんだ。

目の前に現れた道を、幻だ。夢だ。と思えば、瞬く間に消えていく。
それは自分の可能性を自分が否定していることに他ならないのだよ。

信念をもって決意して選ぶ行動は、むやみに幸せを求める姿とは違うのだから
自分の姿勢を恥じたり、卑下する必要はないのだよ。
むやみに幸せを求める者に無いもの・・・それが信念と決意なんだ。

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中立であれ。

中立であれ。

八方美人になるのでもなく、都合のよい態度ばかりとるのではない。

"白" と "黒"
"右" と "左"
"上" と "下"
"前" と "後"

物事には、対(つい)となるものがある。

"善" と "悪"
"心" と "体"
"天" と "地"

それらは、お互いがそこにあって、初めて存在を確実なものとできる。

"太陽" と "月"
"光" と "闇"
"生" と "死"

どちらか一方を否定することは、もう一方を否定すること。

"親" と "子"
"友人" と "他人"
"私" と "貴方"

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大切なもの

大切なものを 大事に扱うのは とてもシンプルで当たり前のこと

自らに必要な道だと思うのなら
その道を信じ 大切にすれば良い

自らに必要な人だと思うのなら
その人を信じ 大切にすれば良い

不安との戦い

自らの内に秘めている不安を解消するために
その問題を解決・・・あるいは結論を出そうとする事
それは、かえってその不安を肥大させるひとつの原因となりましょう。

ムリに解決しようとする必要はないのです。

越える壁が多ければ多いほど、大きければ大きいほど
心の内に生まれる不安と戦うことも増えましょう
悲しみを乗り越えなければならないことも増えましょう
時には憎しみさえも抱えることもありましょう

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我が身のあるがままに

何者かに足元をすくわれないようあれこれと悩むのは
既に自らの内にある"恐れ"に足元を奪われている状況かもしれない。

己の足元を自らが見失わなければ良い

波に乗るときも
嵐を迎える時も

競わず、優越にこだわらず、我が身のあるがままに

葛藤

不安も 悲しみも 苦しみも 全て自分自身との戦いです。

その時は 長いように感じるかもしれません。
けれど その時は 実際には 一瞬のように過ぎ去ることになります。

その為の希望は 自らが見つけ出さなくてはなりません。
他者に求めてはなりません
希望を打ち消す力が働いていると感じたならば それは外的要因ではなく内的要因。
つまり、自分自身の心が導いたものなのです。

自分がそうありたいと願うのであれば 自分からそのように動かなくては。
不安や 苛立ち 焦りに囚われている暇はないのです。

伝えること

わかる人に理解でき わからない人に理解のできない言葉は ただの言葉に過ぎません

言葉を伝えようとするのではなく 想いを伝えようとするのです

想いを伝えようとすれば 言葉には魂が宿ります
魂の宿った言葉は 相手の心に響き お互いに理解を深めます

しかし、ただ伝えるだけの 自分本位な言葉は
相手に届かず通り過ぎ ひどい時は相手に不快感さえ与えるのです

相手が理解しないことに腹を立ててはいけません
相手の心を動かすだけの 力という魂が
己の言葉に宿っていなかっただけなのですから

己を責める事はありません

己を責める事はありません

原因や理由を、外に求める必要もありません

最大の答えは、貴方の内にあります

貴方が、他者に害されたと思った時ほど

はじめなさい

あなたはもう十分頑張りました
未来に向かってあなたがしたいことをなさい

あなたの心に
鎖を繋げる必要はありません
檻で囲う必要もありません

あなたが望む「姿」をイメージしているなら
今、その為に成すべき事が何か既に気付いているはず

動き出すタイミングはありません
それを作り出すのは自分自身なのですから

一時の事態の崩壊は
未来全ての崩壊とは違います

宇宙の始まりも
地球の始まりも
生命の始まりも
全ての始まりは、破滅にも似た崩壊の瞬間から始まります

まるでブランコや振り子のように
一度大きく後退し、前に踏み出すのです

一時の事態の変化は
この崩壊と同じもの
この崩壊を乗り越えた意思の強さは
何物にも変えがたい未来を掴む強く大きな力となるのです

変化を恐れ、疎むことは、
自分の未来を恐れ、疎む事
それを忘れないように

疑ってはならない

相手を疑ってはならない
疑いの心が生じたとき 闘うべきは 己の心だ

人の世界

人には それぞれに 人の世界がある
その世界が重なり合うことで この世界はできている

世界があるから 人があるのではない
人があるから 世界が世界でいられるのだ

即ち

誰かの世界を否定することは 自分の世界を否定すること
世界の状況を嘆くならば 我が身を正さねばならぬということ

個性は。。。

個性は
それぞれが違うからこそ
個性と呼ぶ

ひとと ひとは 違って しかるべきもの

違うことを否定することは
己を否定することと 同じと思え

違うことを拒絶することは
己を拒絶することと 同じと思え

違うことを恐れることは
己を恐れることと 同じと思え

個性を持たぬものは この世には存在しえない

地球と同じ星は ない
名も無き星1つとっても 同じこと

同じ樹木は ない
同じ名前の樹木があるというが それはヒトがつけた名に過ぎぬ
同じ大きさ 同じ枝葉を持つものは 一つもないのだから

それと同じこと
同じヒトは ない

似たものこそあれ 同じものはない

潔さを

潔さを良しととるか、悪しととるかは、すべて人次第。
けれど、それを決めるのは誰でもなく、自分自身の心が決めるのだ。
己が心に聞けば、それがどちらか、答えはすぐ見つかるはず。

己の成すべきことをなさい

己の成すべきことをなさい
善人と同じ事を成しても意味はないのだから
確かなものは己の意思のみ
ただただ進みなさい

何を成さねばならないかよりも何を成したいか
大切なのはそなたの心です

父の言葉を励みになさい
母の言葉を大切になさい


明日はあなたらしくありなさい
ありのままで良い
巷の想いはあなたの想いとは別のもの

天の声を聞き
大地の声を聞きなさい
恐れる事はありません
大地と共に歩みなさい
大地と心を合わせなさい
そなたと共に歩みましょう
大地はそこにあるのだから

おやすみなさい
明日までは天にもどりなさい
静かな眠りを授けましょう
では明日に。

答え

「何故」の先に "答え"がある

"答え"の先に "理解"がある

理解に苦しむのならば 何故理解に苦しむのかを考えればよい
そうすれば 自ずと答えは見つかるものだ

唯一つを手に入れよ

ヒトは甘きものを好む
甘きものを見つけるなり 喜びかぶりつく

しかし 甘きものの命は短い

蜜柑の甘さと同じ
甘き頃合を見極める目利きが必要
そして、甘さを長く生かす手立ても必要

私たちはその術を持っている
それを手に入れるのは至難の業 容易くは無い

手に入れよ 目利きと手立てを
有り余るものは捨て 唯一つを手に入れよ

ことば

邪推は必要ありません。

ありのまま。
今はゆっくりと、この時間を楽しみなさい。

サダメ

物事を見極めることが大切です。

血で残せないものも、魂で残ることがあります。
けれど、魂で会話することはできませんから、真実を見極めることが必要になるのです。

そして、人には自我があります。
自我が邪魔をしてしまうために、真実を見極めるのが難しいのです。

ありのままを受け入れることで真実は見えてきます。
真実を見極めることができれば、おのずと先が見えてきます。

「サダメ」は、常にいく種類か存在し、すべてが成功という「サダメ」とは限らないのです。
過程を越えた先に結果があり、その過程をどう乗り越えるかは貴方次第です。
つまり、過程の数だけ結果がということは、その数だけ「サダメ」があるということ。

私は私であって、ワタシではない。
なぜなら、私という認識が不確実なものであるからだ。

彼から見たワタシも、彼女からみたワタシも、私がみたワタシも、
全て同じ私として認識しているが、全てを照らし合わせてみればわかるはずだ。
全く同じワタシではないことに。
そこには3人のワタシが存在する。


私は、とても不確実な存在。
つまり、如何様にでも変化できるということ。
だからこそ、私であることができるのだ。

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