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私は私であって、ワタシではない。
なぜなら、私という認識が不確実なものであるからだ。

彼から見たワタシも、彼女からみたワタシも、私がみたワタシも、
全て同じ私として認識しているが、全てを照らし合わせてみればわかるはずだ。
全く同じワタシではないことに。
そこには3人のワタシが存在する。


私は、とても不確実な存在。
つまり、如何様にでも変化できるということ。
だからこそ、私であることができるのだ。

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